いまでも言い伝えられている物語
丁蘭氏,東漢時代の河内出身。丁蘭は幼い頃、両親を亡くした。苦労して自分を育てる両親に対して親孝行しようと思い、両親の肖像を木に刻み、生きているように祀ることにしていた。劬劳というのは苦労という意味です。
丁蘭の奥さんはだんだん飽きる気持ちになって、針で木像の指を刺したら、血が流れてきた。さらに、丁蘭に見られたとたん、木像は涙が出た。丁蘭は真相がわかると、奥さんと離婚した。
この物語は事実ではないかもしれないが、《孝経》の感応説と一致するし、ロマンチック主義のロジックとも一致する。親孝行の気持ちがあるからこそ、両親の木像はそれを感じたのである。両親の木像は感情あふれるようになり、血と涙を流した。両親が生きているように敬意をしめすことは、丁蘭には親孝行の気持ちがある証といってもいい。我々も自分の両親に対し、親孝行をし、中華民族の伝統的な美徳を受け継いでいこうではないか。丁蘭に学び、親孝行の気持ちのある人になろう。
丁蘭の文化遺産は杭州から約十キロ離れる丁橋鎮に残っていると言われている。ここは漢時代丁蘭のふるさとだそうである。ここに丁橋、蘭橋に建てられたことにちなんで名付けられた。《杭州市地名志·丁桥乡》によると、丁橋(自然鎮),丁橋郷と丁橋居委会の所在地。杭州市から西南およそ中心约12キロ離れるところにある。ここは漢時代丁蘭のふるさと。
丁蘭は幼い頃、両親を亡くした。両親の肖像を木に刻み、生きているように祀る町のそばに丁、蘭と命名された二橋があり,町は橋の名前と同じ名前を付けられた。
南宋の吴自牧《梦梁录·历代古墓》では丁蘭の母の故居は艮山门から三十六里離れた丁橋の右にある。墓は姥山の東にある。南宋《咸淳临安志》卷八七では丁蘭の故居はいま艮山门から三十六里離れる丁橋にある。民国時代に、郷が設置され、杭県に属す。1953年に杭县から杭州市に移され、丁蘭郷とよばれ、1956年に改称丁橋郷と改名されいまにいたる。